2018年1月12日金曜日

不昧公200年祭の初めに「明々庵へ」

今年は、『不昧公没後200年祭』が4月から始まります。

昨年末からやっと官民挙げて紹介されるようになり

市民の中で話題にもなるようになってきました。

 

3日朝、長男夫婦を米子空港に送り、

長女家族が京都に出発したのを確認した後、

『明々庵』に向かいました。

 
 

常松芳江さんに撮って頂きました。


 

店から歩いて松江歴史館前。

元日にも長男夫婦と立ち寄らせて頂きました。


 

亀田橋の上からの松江城です。


 

塩見縄手のお堀端に咲くピンクの椿。


 

ガン治療中の知事公舎の玄関。


 

約50段の折り返しの石段を上がると左に視界が広がる広場があります。

ここは、松江城天守とほぼ同じ高さの

北からの絶景の場になっています。


 

不昧公の奥方の嫁入り道具の一つの

実家伊達藩と松平藩の家紋が笠に彫ってある灯篭。

(同様なものが明々庵から百草庵の間にも設置されています。)


 

受付けで管理人の森さんに挨拶をした後

お茶券を購入した後、「待合」に進むと後ろから女性の声が~~~。

なんと元日に歴史館で甲冑の着付けボランティアをなさっていた

常松芳江さんが「案内しましょうか?」

「あなたのガイドでここに来てみたいと願ってました~~!!」

常松さんは、昨年からJR西日本の『瑞風』のお客様の

専用ガイドをお勤めになっている方です。

その常松さんからお声掛けを頂きお願いをすることが出来ました。

 

この待合の特徴を説明頂いています。


 
 
 

 

手水桶と低い灯篭。


 

「にじり口」や周辺についての説明を頂いています。


 

詳しくは、明々庵のHPを貼り付けておきます。

http://www.meimeian.jp/meimeian/


 
 

 
 

 

小林如泥作と言われる塀の彫刻もの。


 

雪や雨は降っていませんでしたが結構寒い中で

常松さんは丁寧な説明を続けて頂きました。

この場では、庭石の敷き方に「真・行・草」の種類があること。

そして出雲地方独特の敷き方として表面に出ている部分が高いこと。

これは、雪が積もった時に対応するためのようです。


 

第23代田部長右エ門(元知事)の強力な援助で5回目の

この地への移築がなされたそうですがこの「百草亭」の

掛け軸は、その田部氏の揮毫だそうです。




 

此処でのお茶と和菓子はとても美味しくお土産に買い求めました。


 

帰りにもう一度、目平らで松江城を撮って帰りました。

 

塩見縄手をさらに散策し、レイクラインで松江駅まで帰りました。

 

この日の「明々庵」訪問で翌日の市民年賀会に

和服で参加することを決めました。

 

二年前に楽山窯の12代長岡空郷氏から

「二年後の不昧公200年祭の成否が、その後の

50年間、松江がお茶処、菓子処としての

地位を継続出来かどうかの試金石!!」

とも聞いていましたし、

最近「着物の似合う町、松江」とも言われている。


翌日の年賀会は、女性は7~8人いらっしゃいましたが

男性は、私一人でした!!

 

 

 
 
 
 
 
 
 

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