2017年7月6日木曜日

少年自衛官50回忌慰霊祭!!

昭和43年7月2日、大雨の降り続いた横須賀武山の

陸上自衛隊少年工科学校の敷地内の池

(この池は、同敷地内のナイキの基地の築堤のため重機で

掘り起こした深さ5メートルほどの5~60m四方のもの)

での『渡河訓練』で当時3年生(12期生)17歳の13人が殉職した

自衛隊始まって以来の大事故が起こりました。

 

その慰霊式典が、平成29年7月2日の祥月命日に当たる

事故発生時間午後2時30分に儀仗隊と参加者約1,000人に

より高等工科学校大講堂で執行されました。

 

私も同期の一人として参列して参りました。

 
 
 

大講堂正面に立派な霊段が飾られていました。


 

これが正門の真正面に建築されている大講堂です。


 

52年前に「服務の宣誓」や「校歌」と共に

最初に覚えた『校風』の石碑です。

(大講堂と本部の間にあります)


 

学校本部庁舎の案内看板。


 

我々、全国から集まった12期生120人の受け付けです。

 

 

受け付けを担当して頂いたのは、事務官の教官だったようです。

待機の部屋までご案内頂きましたのは社会の教官で

26歳のイケメンでしたがとても気持ちよく接して頂きました。

 

 

待機の部屋ではこうして久しぶりの同期での歓談の場になっていました。

ヘリのパイロット、戦車の大隊長、防衛大学や幹部学校の教官、

会計隊長をして退職後北海道の地銀の役員をした方、

そして私と同じく訳あって若く退職し、民間に務め千葉で

工務店の社長をしている方など多士多彩です。


 

やがて案内がありマイクロバスで大講堂に移動すると廊下に

高等工科学校生徒で組織される儀仗隊が入場準備していました。


 

正面祭壇は、前掲載ですが両側面は、献花の列です。


 

素晴しく整然と重厚感のある祭壇でした。

思えば49年前は薄暗い当時の大講堂での

「葬送の儀式」が当時の増田防衛庁長官の臨席のもと

挙行されたことを思い出しました。


 

前列左側が私ら12期生の席、右側が来賓席。

そして後方に在校生です。


 

私の目の前には儀仗隊の一人が祭壇を凛として守っています。

 

 

来賓の入場です、小泉進次郎衆議院議員、前衆議院議員西村信吾氏

そして、岡部陸上幕僚長他約50人です。


 

儀仗隊20名が入場!!


 

滝澤学校長の式辞です。

生徒の24期で陸将補。(私ら12期と一回り後輩の寅年生まれ)


 

小泉進次郎衆議院議員の言葉。

いつもの通り、原稿もなしで文章に起こしても全く

問題のない文脈です。

 

自ら発言されていましたが

「いつも同期の絆を大切にして下さい」と申していますが

今日、こうして50年経っているのに全国から120人もの同期の

皆さんがお集まりになるになるという

この12期生の同期の絆は正に在校生に見本を示して頂いている」

という紹介をされました。

 

いつものことですがこの方のスピーチは

いつもスマートで感動するものです。


 

岡部陸上幕僚長です。

昨年市ヶ谷で感謝状を頂戴し、先日の家族会総会でも

懇談させて頂いています。

陸幕、海幕、空幕からも沢山の参列をいただいていました。


 

7期の先輩、軍事評論家で静岡大学教授小川和久氏も参列

献花を頂戴いたしました。


 

「13人の区隊長」小田川教官も80歳を有に超えていらっしゃいますが

北海道千歳からご参加頂いています。

(夜の懇親会にも参加予定です)


 

ご遺族に続いて私ら12期生も全員献花の機会を与えて頂きました。

このような荘厳で厳粛な慰霊祭を企画、執行を頂きました

陸幕長はじめ学校長、学校協力関係団体の皆様に

心から感謝を申し上げてたいと思います。


 

在校生の代表の「献花」です。

61期生ですが私らの誇りです!!


 

そして、最後の「献花」は、今回の慰霊祭のすべてを仕切った

高等工科学校総務部長です。

本当にお疲れ様でした。

これだけの立派な式典にして頂き感謝申し上げます!!

 


 

そして最後は、12期生の代表稲村孝司氏の代表挨拶。

この日の挨拶は、滝澤校長から小泉進次郎氏、そして稲村会長

すべて素晴らしい立派な内容で感動的なものでした。

特にこの稲村会長の挨拶は、同席頂いた

小川和久先輩がFB上で「稲村会長の挨拶は素晴らしかった!!」と

コメントを頂戴したほどの言うべきことは全て網羅し、

同期の想いの詰まったもので同期の一人として誇りに感じるものでした。


 

大講堂の前で全員の記念写真を撮影後、小泉進次郎氏に続いて

岡部陸幕長も専用車で退席されました。

身近に挨拶(ツーショット)が出来なかったのは残念でした。

 

 

現場であります「やすらぎの池」に向かう途中千歳からの

小田川教官の姿と大講堂から移動中の後輩の

行進の姿を見ていて50数年前を思い出しました。


この50回忌を一つの節目に思い

島根から参加しましたが、参加のし甲斐のある

素晴らしい式典でした。

 

お世話して頂きました関係者の皆様に

心から御礼と感謝を申し上げます!!

 

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